「二次創作はグレー」って? 刑法・民法と著作権法の位置2
記事作成:2016年4月
問題
「『二次創作は黒に近いグレー』ってよく聞くけど、黒じゃないの?」どう理解すればよいのでしょうか。
結論からいきましょう。問題の事例は、個人的には「グレー」でまったく問題ないと思いますが、もっと専門的に説明してよと言われたら無粋なことを承知でこう説明できるでしょう。
刑事としては、裁判で有罪になるまでは「黒以外の色」、有罪になったら黒になる。
民事としては、二次創作の作者は「原作者よりも黒い」。
詳しく解説します。
前ページ『
法律の世界をふたつに分けよ! 刑法・民法と著作権法の位置1』の内容は理解していただけたでしょうか。法は「権力がかかわるか否か」でふたつに分かれるのでしたよね。そして、刑法が適用される裁判を刑事裁判、民法が適用される裁判を民事裁判と呼ぶのでした。
多くの一般的な犯罪は、民事と刑事に分けることができます。例えば詐欺。刑法246条で詐欺罪が規定されていますから、詐欺は刑事として扱うことができます。しかし刑事裁判ではあくまで「神さま(国家)が犯罪者に罰を下す」だけですので、だまされて取られたお金を取り返すことが被害者にはできません。お金を取り返すのは民事裁判でやることになります。まずはこの違いをおさえてください。
さて、著作権法です。著作権等侵害罪は著作権法に規定されています(119条)が、これは
親告罪(123条1項)とされています。親告罪とはなにかというと、
被害にあった人が訴えなければ侵した側が罪に問われない罪のことをいいます。普通、犯罪者は警察が捕まえますよね。著作権侵害はそうじゃないということです。
以上の話は刑事についてであることに注意してください。なぜかというと、
民事はあくまで「当事者同士の紛争解決の手助け」ですから、被害者が訴えなければ法廷に立つことがないのは民事では当然だからです。
このように、
(1)著作権侵害は刑事と民事に分解することができる
(2)刑事においては、著作権等侵害罪は親告罪
(3)民事裁判はそもそも当事者同士の紛争解決の手助けである
がおわかりになったなら、「『疑わしきは罰せず』の刑法の話をする刑事においては、二次創作は訴えられて裁判で有罪が確定するまで『黒以外の色』でいられる。民間人の紛争解決の民事なら、『どっちがより黒いか』で判断されるんだな」と理解していただけるかと思います。
(ちなみに、「有罪が確定するまでは無罪だと思う」ことを「無罪推定の原則」といいます。刑事の原則です。)
……でも、
危なっかしいことを「グレー」と呼ぶのは普通の言い方ですし、
言葉の意味というのは元来学者じゃなくてそれを使う人々が作るものですし、そうである以上
専門用語と一般語に意味の違いが出てくるのはまったく当然のことですし、
そこにある微妙な差異を指摘することにあまり意味を感じられないですし、この話でいくと
「この人が食い逃げをした可能性がある、という状況でも裁判で有罪判決が出るまで『黒以外の色』と呼ばなければならない」ということになり感覚的にもおかしいですので、刑事と民事でこうした違いがあるのを理解したうえで一般的な言い回しとして「グレー」を使えばいいと思います。必要があれば、「あのね、一般的に○○っていうのはこういう意味に使われるけど専門的にはね……」と説明すればいいわけですから。
前ページで述べた通り民法の条文の重要度は相対的に低めで基本は「私的自治の原則」によります。下に書きますような親告罪の理由もあります。さらに各所コラムで書きますような信義誠実原則から派生する様々な原則もあります。著作権法の条文に抵触しているから「二次創作は黒」と呼んだところで、その「黒」の言葉の中身がひどく空虚なものに私は感じられます。問題の本質を見失ってしまうおそれがありますから、「二次創作が『黒』か『グレー』か」という議論に熱心になることは私は勧めません。
―発展:親告罪と権利失効の原則―
親告罪を定めた目的を考えてみましょう。
2017年4月現在名誉毀損(刑230条)とか親族間での犯罪(刑244条)とかが親告罪として定められていますが、それぞれの犯罪によって「罪が軽すぎるから被害者の意思なく国家が積極的に動く必要はないよね」とか「家族の中で起きたことに国家が介入しちゃうのはアレだし……」とか、親告罪にはいろいろ理由があります。
著作権法はどうなのでしょうか。著作権侵害が親告罪である主要な理由としては、「被害者が目をそらしても構わないとしているのに国家が積極的に動くのはおかしいんじゃないかな」というものが挙げられます(注1)。お目こぼし、という理解でいいでしょう。「二次創作による宣伝効果も存在するので、二次創作は取り締まった方が有益であるとは一概にいえない」、というのもありますね。
ここで、前ページで10回唱えていただいた信義誠実原則から派生する「
権利失効の原則」がかかわってきます。「権利を持つ人がその権利を長い間行使しなかったら、相手方は権利の行使はもうされないだろうと信頼する。その期待を保護するために、長い間使われなかった権利は使えなくなるよ」という原則です(注2)。権利とはサビるものなわけです。この原則がある以上、
原作者が実質黙認している状態から不意打ちのように同人作家を訴えるということは「あまり」ないということがいえます。ですから、二次創作をやるにあたって「必要以上に」おびえる必要はありません。健全な内容であれば特に。
(ここにいう「黙認」というのも考えなければなりません。なぜならば、著作権者としては同人活動を不用意に禁止すると反対運動などでかえって不利益が生じる可能性があり、また訴えの費用・労力等が期待できる成果に見合わないなどの事情がある以上、たとえ著作権者が同人活動の存在を確認したうえで黙っていたとしても、それがただちに「同人活動を黙示的に認めた」ことにはならないからです。総合的に判断すべきで難しいところです。)
「
禁反言の原則」というものもあります。「一度言ったことを撤回して矛盾したことをやるのは認めないよ」という原則です。法は権利を行使される側の保護も十分に考えているのです。
あとはいつも通りの程度問題です。
原作者の利益と同人作家の利益を天秤にかけて判断し、同人作家が悪質なこと(漫画やゲームの中身をそのまんまネットに流すとか、いかにも不健全で作品のイメージをひどく損なう二次創作を普通の絵に交ぜて公然と流すとか)をしていたら、突然訴えられても文句は言えないかと思います。
注
1)
文部科学省ホームページ 『文化審議会 著作権分科会 法制問題小委員会(第2回)議事録・配付資料 [資料5]』2(2)
2)この原則そのものが明示的に用いられた判例はありません。契約の解除の場面で一般論として肯定された判例があるのみです(最判昭30.11.22など)。しかし「不意打ち防止」といった考え方で権利行使を制限するのは広く認められています。