同人・二次創作と法律|法律を知って誠実に同人文化を楽しもうよ!

トップ
<<前へ
次へ>>

法律の世界をふたつに分けよ! 刑法・民法と著作権法の位置1

記事作成:2016年3月

問題1
「常識なんて法的には役に立たない。ルールに書いてあることがすべて。ルールを破らなければなにをしてもいい」と言う人がいました。この人の言うことはどこまで正しいのでしょうか。

問題2
普通の民間人であるAさんとBさんがいました。X(旧Twitter)上でAさんがBさんに「そのジャンルのイラストは嫌いだから流さないでほしい」と言いました。するとBさんは「表現の自由の侵害だ!」と反論しました。Bさんの主張はどの程度正しいでしょうか。



 ここでは、法律の全体像と著作権法はどのあたりに位置づけられるのかご説明します。書いている人の経験上、ここで混乱されている方が非常に多いように感じられます。しかし刑法と民法の違いを理解しないと著作権法のまともな運用はままならないですので、よく理解していただきたいと思います。
 といいつつも、突っ込むとかなりややこしくなるところでもありますので、誤解を恐れず実用重視で単純化して書きます。「単純化したとしてもこの記述はありえない」というところがありましたら是非メールフォームよりご連絡をお願いします。


 ではみなさん! 刀を持ってください。切れ味のいい名刀を。そしてぐちゃぐちゃした法律の世界をバシーッと真ん中でふたつに斬ってしまいましょう。幹竹割り!

 斬れましたか? それでは、その一方に憲法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、地方自治法などを入れてください。もう一方には民法、商法、小切手法などを。



 この分類はなにか、といいますと、ズバリ「公権力がかかわるかどうか」です。憲法の仲間が権力がかかわる側、民法の仲間は権力がかかわらない側です。
 憲法は国家の最高法規、法の中の法です。国家権力を拘束する法です。民事訴訟法・刑事訴訟法は裁判所への手続きを取り決めているので、権力がかかわっていますね。地方自治法は地方自治体とかの取り決めごとで、行政にかかわっています。刑法がこちら側なのはあとで詳しく説明します。
 民法は民間人と民間人の関係を取り決める法律で、公権力は基本的にかかわりません。商法は、民間人の中でも特に商人について規定します。

 それぞれ、権力がかかわる法律を公法、権力がかかわらない法律を私法と呼びます。実際のところはきれいに真っ二つにできないのですが、「公権力がかかわるか否か」で法はふたつに分かれる、というのは覚えておくといいと思います。

 著作権法はどちらなのか。結論から申し上げますと、真ん中あたりで私法寄り、という感じです。基本は民法ですが刑法にもかかわります。ですから、著作権法の前にまず刑法と民法をご説明せねばなりません。以下、刑法と民法の違いと刑事裁判・民事裁判についてご説明しますので、「権力がかかわる/かかわらない」の対比を意識して読み進めてみてください。



日本国憲法第31条
何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 刑法の役割は大きく分けてふたつあります。ひとつは、犯罪者を処罰して社会の安定を図ろう、公共の福祉に貢献しようという役割です。こちらは割と想像しやすいかと思います。もうひとつは人権保護です。あらかじめ刑罰を定めておいてそれ以外の罰は与えない、そうすることで、例えば国家が都合の悪い人物に適当な罪を着せてしょっぴくなんてことが起きないように国家権力を制限する。それぞれ法益保護機能・人権保障機能なんて専門用語があります。ここにおいて、「国家権力を制限してるから刑法は公法だな」というのがおわかりになるかと思います。

 刑法の罰則は原則的に条文がすべて、という理解でよいと思います。これは「罪刑法定主義」という用語で呼ばれます。上に載せました日本国憲法の31条、あるいは39条なども根拠といわれていますね。ですから、「ルールを破らなければ何をしてもいい」はちょっと違っていて、「ルールを破らなければ有罪とはならない」という感じです。「疑わしきは罰せず」なんていうのも刑法のお話ですね。こういったものは、国家権力と一般人との間で通用する考え方です(注1)。


民法第1条
1項 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3項 権利の濫用は、これを許さない。

 いっぽう民法は、一般の人同士の関係を調整するための法律で、倫理に支配されます。

 倫理に支配されます

 大事なことなので二回書きました。刑法の考え方は、「常識とか慣習といった曖昧なものはできる限り排除しよう」でしたね。民法は全く違います。上にある民法1条2項のようなフワフワした条文が裁判の判決の根拠になることもしばしばです。なぜこんなことができるのかというと、民法は一般人同士の関係を調整する法律だから、そして刑事裁判と民事裁判は別物だからです。裁判はあとでご説明するとして、「民法は一般人同士の関係を調整する法律である」。これも理解しておきたい考え方なのですが、基本的に一般人同士の関係はその人たちが取り決めることで、民法の条文は困ったときの予防線みたいなものです。私的自治の原則と呼ばれます。

 民法はむしろこう考えてください。「まず常識的・倫理的に妥当な結論がある。条文はそれに理由をつけるためのものである」。少々極端ですが、これくらいでいいでしょう。「この条文に逆らった特約を君たちで作ってもいいよ」とする条文もありますし、条文には書いていないけれど認められる権利だってあります。場合によっては慣習も法的効果を持ちます民法の条文の重要度は相対的に低めです。たしかに裁判官によって結果が変わってきてしまうほど曖昧すぎるのは好ましくありませんとはいえ、民法はかなり柔軟である、というのは覚えておきましょう。

 民法1条2項が大原則で、信義誠実原則と呼ばれます。10回唱えて覚えていただきたいくらい大事です。



 さて、では裁判の話です。

 裁判と聞くと、おそらく「懲役何年」とか「罰金いくら」というものを想像されると思います。これは刑法がかかわる裁判、刑事裁判です。一方、「慰謝料がいくら」とか「損害賠償」うんぬんといったもの。これは民法が適用される民事裁判です。ふたつに分かれていますよね。

 刑事裁判では国家が罰します。この力は強大です。その気になれば国家権力は簡単に個人を潰せます。刑事裁判における罰は神の裁きみたいなものとして想像してください。裁きをする神さまが気分屋だったら大変なことになります。それを制御するのが、上でも書きました刑法の意味合いのひとつです。

 民事裁判でも、判決を下すのは裁判所ですから国家です。でも「慰謝料」とか「損害賠償」といったものは神の裁きと違いますよね。あくまで当事者同士の問題を解決する手助けをするのが民事裁判の役割である、という感じです。ですから、民事裁判では刑事裁判に比べて常識とか倫理といった曖昧なものをよりどころにすることだってしやすいわけです。民事においては和解もよくなされます。主役は当事者、権利の処分権があるのが当事者なのです。



 以上が見えてくると、例えば「損害賠償みたいな民事の話をしているのに国家権力を制御する憲法の規定である『表現の自由』を持ち出すのはズレてるよ」ということがおわかりになるかと思います。犯罪にならなければ、基本的には民間人がどんな発言をするのも自由です。民間人が民間人に対して「そんなことを言うな!」と言うのも自由です。言われた側はそれに従わず発言する自由があるわけですから。ただし、なにか問題が発生して民事の法廷に立つことになれば、信義誠実が裁判官の心証に影響するよ、ということです(注2)。程度問題となるでしょうが、明らかに常識的におかしいことを「表現の自由だ!」と言い続けて好き勝手やり続けたら、民事としては権利濫用(民法1条3項)になりえます


 アバウトなイメージとしては上のような対比でよろしいかと思います。先にも少し書きましたが、著作権法は、刑罰規定があるものの、大きく見れば民法の特別バージョンとみなすことができます。著作権法が守る知的財産とは財産のひとつで、財産についての権利を一般的に定めているのは民法だからです。あるいは、著作者は普通は民間人で、侵害者も民間人であることが多数である、ということもできるでしょうし、他の説明の仕方もあります。

 だからこそ、同人活動においても信義誠実が大事なわけです。




1)ある程度ご存知の方なら「エッ!? ここは法実証主義と法の支配の話をするんじゃないの!?」と思われるかもしれませんが、それだと抽象的な議論になってしまい「同人活動に関連する法律を解説する」という趣旨にそぐわなくなると考え本文のように書かせていただきました。
2)この「憲法の人権規定は一般人にも適用されるか」という問題は、マスメディアとか大企業といった民間団体が個人の人権を不当に奪えるくらいまで社会的影響力を増しつつある情勢を背景に議論になっています。しかし憲法の規定が公権力を制限するものであるというのが原則である以上、規模の小さい一般人対一般人のようなケースにおいてまで憲法の規定を連れてくるのはやはり妥当でなく、民法の規定で処理できるならそうすべきと管理人は考えます。

トップ
<<前へ
次へ>>

トップ免責事項メール
Copyright (c) 2016- 黒胡椒 All Rights Reserved.